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序論 第一次佐久市総合計画 | 佐久市ホームページ

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(1)

叡智と情熱が結ぶ、21世紀の新たな文化発祥都市

一人ひとりのための温かみと豊かさのある生活空間

●第一次佐久市総合計画●

(2)

(1)この計画は、21 世紀初頭における中長期的な視野に立った佐久市のまちづくりのための基本的な施 策を示すものであり、本市の最上位計画として行政運営の基本方針となるものです。

(2)この計画は、市民一人ひとりの積極的な市政参加を得ながら、市民と行政の協働のまちづくりを基本 とした本市のまちづくりの姿勢を明らかにするものです。

計画の名称は、「第一次佐久市総合計画」とします。

第 1 章 総合計画の概要

平成 17 年 4 月 1 日、佐久市・臼田町・浅科村・望月町の 1 市 2 町 1 村が合併し、10 万都市・新 「佐久市」が誕生しました。合併にあたり、4 市町村の一体性を速やかに確保し、地域の均衡ある発展と 市民福祉の向上を図ることを目的として、新市の将来像を「叡智と情熱が結ぶ、21 世紀の新たな文化発 祥都市」とする「新市建設計画」を策定しました。

人口減少時代の到来、少子・高齢化の進展、地方分権の推進、さらに国・地方の厳しい財政状況を受け た構造改革の推進、また地球規模での環境問題など、わが国の社会経済情勢は大きな転換期を迎えていま す。

このような中、本市においても、諸課題に的確に対処しつつ広い視点に立ち、力強いまちづくりを積極 的に進めるとともに、健全財政に配慮した計画的・効率的な行政運営が求められています。

10 万都市・新「佐久市」の誕生は、さらなる発展を目指した新たなまちづくりのスタートです。本計 画は、新市建設計画の基本方針を踏まえ、市民が「合併して良かった」と実感できる新しいふるさとづく りを進めていくことを目的として、ここに策定するものです。

序 論

1

策 定 の 目 的

2

計 画 の 性 格

3

計 画 の 名 称

第 1 章 総合計画の概要

この計画は、「基本構想」、「基本計画」、「実施計画」で構成され、内容と期間は次のとおりです。

時代の潮流や本市の特性を踏まえ、将来に向けてのまちづくりの基本理念と目指すべき将来都市像を 明確にし、それを実現するための施策の大綱を定めた長期的なまちづくりの指針とするものです。

計画期間は、平成 19 年度を初年度とし、平成 28 年度を目標年度とする 10 年間とします。

【 計画期間 10 年間(平成 19 年度 ∼ 平成 28 年度) 】

基本構想の施策の大綱に基づき、その基本理念と将来都市像を計画的に実現するために、実施すべき 具体的な施策の方向を示した中期的な計画です。

計画期間は、平成 19 年度から平成 28 年度までの 10 年間とします。なお、本市を取り巻く社会経 済情勢の変化や、新たな市民ニーズなどに対応するため、5 年(前期)経過後に見直しを行います。

【 計画期間 10 年間(平成 19 年度 ∼ 平成 28 年度) 】 但し、5 年後に見直しを行う。

基本計画で示された施策に基づき、具体的に実施する事業概要等を示したもので、毎年度における予 算編成や事業実施の指針となる短期的な計画です。

計画期間は 3 年間で、毎年度見直しを行います。

【 計画期間 3 年間(毎年度見直し)】

4

計 画 の 構 成

(1) 基本構想

(2) 基本計画

(3)

第 2 章 佐久市の概要

旧佐久市は、江戸期には中山道と佐久甲州街道の結節地として交通の要衝にありましたが、やがて幹 線交通網から遠ざかり、田園地帯を形成していました。しかし、近年においては上信越自動車道や北陸 新幹線、さらには中部横断自動車道といった高速交通網の整備が飛躍的に進み、とりわけ、北陸新幹線 佐久平駅周辺は大きな変貌を遂げ、長野県内有数の商業圏を形成しています。

江戸時代の中頃から養殖が始まった佐久鯉や、多くの造り酒屋から生産される伝統的美酒は、佐久の 清流が育てる全国ブランドです。また、教育への情熱の象徴である旧中込学校は、日本最古の擬洋風学 校の一つとして国の重要文化財に指定されています。

全国各地からの選手たちがその技を競う佐久バルーンフェスティバルや、日本五大稲荷といわれる鼻はな 顔

づら

稲荷神社初午祭の賑わいは、佐久の風物詩として定着するなど高速交通網の整備とともに、人・モノ ・情報の交流が盛んになっています。

幕末激動のさなかに、西洋式の築城法を用いて造られた龍岡城五稜郭を擁する旧臼田町。農村医学発 祥の地、またハレー彗星大接近を契機に建設された大パラボラアンテナ等、地域の特性を生かしたまち づくりに取り組んできました。

国の史跡に指定されている龍岡城五稜郭は、5 つの稜が星形に突き出ている洋式城郭で、わが国には 2 つしかない貴重な歴史遺産です。古くからの伝統行事である新海三社神社の御田植祭・御神切符お み ふ 祭、 また天下泰平・五穀豊穣を祝う神事である湯原神社式三番し き さ ん ばは、250 年余の前から続く山村の郷土芸能で、 脈々と後世に受け継がれています。

これら貴重な伝統行事や、稲荷神社の祭りである小満祭など多くの観光客で賑わいをみせる中、卓越 した先見性で時代を切りひらいた先駆者、世界的に著名な彫塑家など、私たちの先人たちが遺した歴史 ・文化遺産は、貴重な文化財として現代に息づいています。

江戸と京都を結ぶ中山道とともに栄えた旧浅科村。川越しの宿である塩名田宿、第 14 代将軍徳川家 茂に降嫁した皇女和宮が宿泊した八幡宿、今でも街道筋の随所にその面影を残し、往時を偲び塩名田宿 で開催される中山道宿場祭りは、多くの人々で賑わっています。また、八幡宿にある「高良社こ う ら し ゃ」は、国 の重要文化財に指定されています。

旧浅科村の歴史は、千曲川の流れを抜きにしては語ることはできません。塩名田と御馬寄との間の中 津橋は、洪水のたびに流され、修復は大きな課題でした。舟をつなぎとめるために使われた「舟つなぎ 石」は、船橋時代の苦労を物語る貴重な歴史遺産として、千曲川の流れを静かに見つめています。

そして、全国の疏水百選に選ばれた五郎兵衛用水から引かれた豊富な水と、千曲川の豊かな流れがも たらした肥沃な耕地から収穫される五郎兵衛米は、天下の美味として全国でも高い評価を受けています。

序 論

1

市 の 沿 革

(1) 旧 4 市町村

第 2 章 佐久市の概要

(2) 市町村合併の動き

(3) 新「佐久市」の誕生

国においても「平成の大合併」を推進する中、住民意向調査の結果を受け、関係する市町村間で議会 ・行政を中心に合併についての調査・研究が進み、平成 15 年 12 月に佐久市・臼田町・浅科村・望月 町の 4市町村による法定合併協議会が設置されました。

その後、合併後の新市のまちづくりのマスタープランである「新市建設計画」の策定等新市建設に向 けた協議が続き、平成 16 年 8 月 23 日に合併協定が調印されました。そして、平成 17 年 1 月 24 日 の総務大臣の官報告示(総務省告示第 109 号)を受け、平成 17 年 4 月 1 日に新「佐久市」が誕生し ました。

市町村合併は、近代的地方自治制度である「市制町村制」の施行(明治 22 年)に伴う「明治の大合 併」と、「町村合併促進法」の施行(昭和 28 年)に伴う「昭和の大合併」という 2 つの大きな合併が 全国的に行われてきました。

江戸時代からの自然発生的な町村を合併して行財政機能を充実しようとした明治の大合併では、約 71,000 の町村が約 16,000 となり、新制中学校 1 校を効率的に設置管理できる人口規模を念頭に 進めた昭和の大合併では、全国の市町村数が、昭和 36 年には約 3,500 となりました。

昭和の大合併から 40 年余が経過し、市町村を取り巻く社会経済情勢が大きく変化する中、新たな諸 課題への対応が求められ、市町村の行財政基盤を強化する必要が生じてきました。これが、「平成の大 合併」です。

はるか昔、蓼科山麓で馬が育てられ、都に献上されました。美しく力強く成長したその馬は、平安時 代には最高の良馬として「望月の駒」と称されました。

江戸から碓氷峠を越えた中山道は、小田井、岩村田、塩名田、八幡の各宿を経て、望月宿に入ります。 望月宿、そして「間あいの宿」と呼ばれた茂田井は、今でもかつての風情を色濃くとどめ、真山家「大和屋」 の主屋と土蔵は国の重要文化財に指定され、武重家の住宅と酒造施設は国の登録有形文化財に登録され ています。鎌倉時代から建立された石造物は 3,000 体を超え、旅の安全、村の平穏を見守ってきまし た。

(4)

序 論

2

市 勢 の 概 要

千曲川・浅間山

(1) 位置と地勢

18

*佐久市役所の位置 東経 138 °28 ′37 ″  北緯 36 °14 ′56 ″ 標高 692m

本市は、本州のほぼ中央、長野県の東部にあり、 県下4 つの平の一つである佐久平の中央に位置す る、日本で海から一番遠い都市です。

北に浅間山(上信越高原国立公園)、南に八ヶ岳 連峰を望み、蓼科山・双子山(八ヶ岳中信高原国 定公園)、荒船山(妙義荒船佐久高原国定公園)に 囲まれ、千曲川が市の中央部を南北に貫流する、 自然環境に恵まれた高原都市です。

市域は、東西 32.1km、南北 23.1km で、面積 は 423.99k㎡となっています。

第 2 章 佐久市の概要

(2) 気 候

(3) 人口と世帯数

(資料:国勢調査)

(単位:人、世帯)

■ 年齢 3 区分別人口と世帯数の推移

※平成 17 年の人口合計には年齢不詳者(1 名)含む。

世   帯   数 合       計 老年人口(65 歳以上の人口)

生産年齢人口(15 歳∼ 64 歳までの人口) 年少人口(14 歳以下の人口)

区 分 年 次

16,597 16,000 15,164 61,041 61,443 60,881 20,175 22,573 24,416 97,813 100,016 100,462 31,483 33,836 35,362 平成 7 年 平成 12 年 平成 17 年

■ 年間日照時間と降水量 ■ 年平均気温と最高・最低気温

(資料:佐久消防署) (資料:佐久消防署)

近年における国勢調査では、平成 7 年は 97,813 人、平成 12 年が 100,016 人、そして平成 17 年では 100,462 人と本市の人口は増加傾向にあります。

一人の女性が、生涯に生む子どもの数の平均を示す合計特殊出生率の長期低落傾向が続き、全国の平 成 17 年の出生率は 1.26 と過去最低を更新し、人口の減少が大きな社会問題となっています。しかし、 本市の平成 17 年の出生率は、1.44 と全国値を上回っています。

人口動態における社会動態でも、本市は長野県内で上位に位置しています。上信越自動車道や北陸新 幹線といった高速交通網の整備が飛躍的に進展し、首都圏までの時間距離が大幅に短縮されています。 合計特殊出生率の高い数値とともに、高速交通網の整備が、人口増の大きな要因のひとつと考えられま す。

なお、平成 17 年の年齢 3 区分別人口は、14 歳以下の年少人口が 15.1 %、65 歳以上の老年人口 は 24.3 %となっており、年少人口が減少する一方で、老年人口は増加傾向にあります。

また、平成 17 年の世帯数は、35,362 世帯と平成 12 年に比べ、4.5 %増加しています。人口の増 加率 0.4 %に比べると高い数値を示し、核家族化が進んでいます。

当地域は、四方を山々に囲まれた盆地にあり、気温の較差が大きく、降水量が少ないなど、典型的な 内陸性気候を示す高燥冷涼地です。

(5)

第 3 章 佐久市を取り巻く環境の変化

1990 年代、旧社会主義国の市場経済化や、東アジア諸国の経済成長などを背景に経済のグローバル 化へと突入し、資本や労働力の移動が活発化しました。貿易や投資の増大による世界における経済的な 結びつきが深まり、世界を一つの大きな市場とした地域間競争が激化し、今や世界は「大競争時代」を 迎えています。

一方で、情報通信技術の飛躍的な発展を背景とした IT 革命は、インターネットの爆発的な普及と電子 商取引の拡大をもたらし、企業活動のみならず私たちの日常生活に大きな影響を及ぼし、グローバル化 を加速させています。

このように、経済活動を始めとした観光・文化・教育・スポーツなど様々な分野において、人・モノ ・情報、そして資本の交流が国境を越えて世界的規模で拡大しており、日本もこの大きなうねりの中で、 激しい変革が求められています。

この大競争時代を勝ち抜いていくためには、国際社会で活躍する人材の育成、産業基盤の強化、さら には高度情報通信網の整備など 21 世紀という時代を的確に捉え、戦略的に挑戦していく叡智と、自ら の価値観をもって状況を判断し、行動していく力強さが求められています。

序 論

経済活動の拡大は、地域間競争の激化を招く一方で、二酸化炭素の排出による地球温暖化やフロン使 用によるオゾン層の破壊、また大気・水質の汚染、廃棄物問題など地球的規模での環境問題を引き起こ し、これまでの大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会経済システムのあり方に、大きな問題を投げか けています。さらに、アジア・アフリカの途上国における「人口爆発」と言われる急激な人口増加は、 森林伐採に伴う砂漠化の進行とともに、地球的規模での環境の悪化と世界的規模での食料需給の逼迫、 水の枯渇を招くことが予測されています。

このように、人類の存亡に関わる大きな問題に直面する中、地球資源が有限であることを再認識する とともに、自然環境の保全、新エネルギーの活用、そして食料自給率の向上に向けた長期的な施策の展 開が必要となっています。

1

時 代 背 景 (時代潮流)

グローバル化の時代

* *

環境の時代

人口減少の時代

日本の人口は、明治時代以降、農業生産力の増大や経済発展に伴う国民の所得水準の向上などを背景 に急増し、昭和 42 年には世界で 7 番目となる人口 1 億人国家となりました。しかし、厚生労働省の平 成 17 年人口動態統計及び総務省の平成 17 年国勢調査によると、日本の人口は、少子・高齢化の進展 により「自然減」に転じ、日本社会は平成 16 年をピークに、政府の予測を上回る速さで人口減少時代 に足を踏み入れました。

戦後、日本経済は、良質で安価な労働力や豊富な資本、また目覚しい技術進歩、さらには消費意欲の 拡大などを背景に高度成長を続け、世界でもトップクラスの所得水準を獲得するまでに至っています。 日本社会は、人口減少というこれまで経験したことのない大きな時代変化を迎え、日本経済の高度成長 を支えた労働力が失われようとしています。人口増加を前提として機能してきたこれまでのあらゆる社

第 3 章 佐久市を取り巻く環境の変化

会経済システムは、人口が減少する時代潮流の中で、今後、時代に即した、人口復活のシナリオに向け た弾力的なシステムへの転換が求められています。

少子化の時代

高齢化の時代

日本の年間出生数は、第 1 次ベビーブーム期(昭和 22 年∼昭和 24 年)には約 270 万人でしたが、 第 2 次ベビーブーム期(昭和 46 年∼昭和 49 年)の約 200 万人をピークに次第に減少し、平成 17 年の出生数は約106 万人と過去最低となりました。この出生数は、第 1 次ベビーブーム期の 4 割、第 2 次ベビーブーム期の 5 割という低水準となっています。

合計特殊出生率をみると、第 1 次ベビーブーム期では 4.00 を超える水準でしたが、昭和 49 年には 2.05 と、長期的に人口を維持できるとされる水準(人口置換水準)2.08 を下回り、平成元年には 1.57 と、「丙午ひのえうま」という特殊要因により過去最低であった昭和 41 年の 1.58 をも下回る結果となりました。 (「1.57 ショック」)

この頃から出生率の低下が社会的関心を集め、政策課題として取り上げられるようになりました。し かし、その後も減少傾向に歯止めがかからず、平成 17 年の合計特殊出生率は、1.26 と過去最低を更 新するなど少子化の進行は、危機的な状況となっています。

少子化の原因として、未婚化・晩婚化の進展、夫婦の出生力の低下、また仕事と子育てを両立できる 環境整備の遅れなどが指摘されています。出生率の低下は、人口の減少につながります。人口の減少は、 労働力人口(生産年齢人口)の減少に伴う経済活動の停滞、景気の動向に大きな影響を及ぼす消費需要 の減少、さらには若年層減少に伴う地域社会の活力低下など、都市の隆盛に大きな影を落とします。経 済の発展、そして豊かな社会を維持、形成していくためには、少子化の流れを変えていかなければなり ません。

このようなことから、企業と連携し、仕事と家庭が両立できる支援制度の充実を図るとともに、子ど もの養育・教育に係わる経済的負担の軽減、さらには地域における子育て支援など、家庭を築き、子ど もを生み、安心と喜びをもって子育てにあたっていく環境づくりを社会全体で進め、出生率の向上を目 指していかなければなりません。

戦後、わが国の死亡率は、生活環境や食生活の改善、医療技術の進歩等により低下し、平均寿命が大 幅に伸びています。平均寿命の伸長と少子化の進行により、65 歳以上の高齢者人口が総人口に占める 割合(高齢化率)は、近年、上昇の一途をたどっています。

65 歳以上の高齢者人口は、昭和 25 年では約 416 万人と総人口の 5%に達しませんでしたが、昭和 45 年に 7%を超え(高齢化社会)、平成 6 年には 14%をも超えて、世界に例を見ない速度で高齢社会 へと突入しました。そして、平成 17 年には約 2,567 万人と過去最高となり、高齢化率も 20.1%に 上昇しています。

今後も、高齢者人口は増加する一方で、総人口が減少に転ずることから、高齢化率は出生率が向上し ない限り上昇を続け、極めて高齢化の進んだ「超高齢社会」の到来が予測されています。

高齢化の進展は、地域社会の活性化に大きな影響を及ぼすとともに、人口構造が大きく変化し、年金 ・医療・福祉といった社会保障費も増大します。とりわけ、いわゆる団塊世代の高齢世代への完全移転 (2007 年問題)は 、このような人口構造の変化に拍車をかけます。

(6)

*佐久平ハイウェイオアシス: 上信越自動車道佐久平パーキングエリアに連結している第 2 パーキングエリア、平尾山公園、スキー場(パラダ)の総称。

序 論

2

地 域 背 景

日本社会は、人口減少時代を迎えました。しかし、本市の人口は増加しています。また、本市は交通 の要衝にあります。

モータリゼーションが進展する中、平成 5 年 3 月に上信越自動車道佐久インターチェンジが開通し ました。佐久インターチェンジの開通は、市民の活動範囲や多様化するライフスタイルの選択肢を広げ、 周辺地域は、物流拠点としての要素を兼ね備えた地域として生まれ変わりました。開通に併せて整備し た佐久平ハイウェイオアシスは、本市における通年型の一大観光拠点として、市内外の多くの人々に利 用されています。

また、北陸新幹線佐久平駅が、平成 9 年 10 月に開業しました。佐久平駅の開業は、首都圏との時間 距離を大幅に短縮し、通勤・通学圏内となり、利用者は当初の予測を大きく上回っています。 JR 小海 線佐久平駅も誕生し、佐久地域の住民生活の利便性は、格段に向上しています。新たな商業集積が進ん だ周辺地域は、佐久市の新しい顔として生まれ変わり、本市の経済圏域は飛躍的に拡大しました。

さらに、中部横断自動車道の槌音が聞こえてきました。中部横断自動車道は、佐久市と静岡市、上信 越自動車道と連結して太平洋と日本海を結び、北関東自動車道とともに関東大環状連携軸の一翼を担う 重要路線です。中部横断自動車道、そして沿線におけるインターチェンジの早期建設は、佐久広域圏内 の地域住民生活に、計り知れない大きな効果をもたらします。

上信越自動車道、北陸新幹線、そして中部横断自動車道 ――――。 このように本市は、首都圏・日 本海圏・太平洋圏を結ぶ交通の要衝にあり、地域連携軸の結節都市となります。

この結節点としての優位性を生かし、人・モノ・情報、そして資本の交流・戦略拠点としての体制を 確立し、これらを基に地域資源を活用した産業を振興することによって、地域間競争に対応していかな ければなりません。また、これらの動向は、人口が増加する大きな社会的要因のひとつとなっていきま す。

人口減少時代を迎えて

上信越自動車道佐久インターチェンジ “夢が実現”北陸新幹線 佐久平駅

第 3 章 佐久市を取り巻く環境の変化

バブル崩壊後の不況下で、景気を下支えした公共事業の拡大により国・地方の財政状況は悪化してい ます。さらに、少子・高齢化の進展に伴う社会保障費の増大や税収の減少などにより、投資的な施策を 行うことは極めて困難になることが予測される中、市町村合併による新市建設を都市基盤強化の大きな チャンスとして捉え、新「佐久市」が誕生しました。

自由時間の増加や生活水準の向上に伴い、ライフスタイルや価値観の多様化が進み、「生きがい」や 「ゆとり」を追求する成熟化社会へと変化しています。美しい環境を守り、豊かな自然と共生しながら、

生きがい豊かに生きることが求められる社会となっています。

地方が自立し、責任を持つ分権時代が訪れています。もはや従来の既成概念では通用しないパラダイ ム(規範)なき時代の中で、自治体は、自らの責任と判断において地域や住民の声に応え、行財政のよ り一層の簡素化・効率化に努めながら自らの価値観をもって地域を経営し、国際社会においても誇れる、 個性的で魅力ある地域づくりがこれまで以上に求められています。

21 世紀への挑戦が始まりました。市町村合併は、単なる市町村の集合ではなく、さらなる市民福祉 の向上に向けた、21 世紀という新しい時代を生き抜くための手段であり、今、大切なことは、10 万 市民が新しいふるさとを愛する心です。

新しいふるさとづくりが始まりました。市民との協働のまちづくりを基本に、それぞれの地域の歴史 や文化などを尊重し、特性を生かしながら、共に手をとり、心をひとつにして、守りでなく攻めの姿勢 で、持続発展できる力強いまちづくりを積極的に進めていく必要があります。

新しいふるさとづくり

(7)

参照

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